慶應義塾

新時代を先導した「福澤諭吉の事始め」

謹賀新年。新しい年の幕開けに際し、今回は「福澤諭吉の事始め」をテーマにお届けしよう。時代の転換期にあった明治期、福澤は若き日の蘭学修行や3度の西欧体験をベースに、近代化に欠かせない数々の西洋文明の紹介と普及に民間の立場から尽力した。その中には福澤によって初めて日本にもたらされたと考えられるモノやコトが少なくない。現代の私たちにも親しみ深い「福澤諭吉の事始め」をいくつかピックアップして紹介する。

「B」と「V」を区別する「ウ」に“てんてん”の新表記

英単語などに使われるアルファベットの「V」表記の発音は、しばしば「ヴ」というカタカナで表される。実はこの表記法を考案したのが福澤諭吉だった。

もともと日本語には「V」の発音に相当するカナ文字がなかったが、英語では「B」と「V」はまったく別の音で、混同すれば単語の意味の取り違えも起きてくる。福澤はその発音の相違を日本語表記でもしっかりと区別しようと考え、「ウ」に濁点をつけるそれまでになかった表記を思いついた。

『増訂華英通語』より「Voyage」の表記(慶應義塾図書館提供)

1860(万延元)年、咸臨丸による幕府遣米使節に随行した福澤は、『華英通語(かえいつうご)』という、英語と中国語の辞書を購入。帰国後、これに訳語と英語の発音を付した『増訂華英通語』を出版したが、この中に、初めて「ヴ」が登場した。それから160年以上経った現在、パソコンのローマ字カナ変換「vu」で「ヴ」が出てくるくらい日本人にとって当たり前の表記法となっている。

新聞史上初の料理記事 「何にしようネ」の連載

福澤は「食」の近代化にも大きな足跡を残した。例えば先に挙げた『増訂華英通語』には、「Curry」という単語が掲載されており、これが日本で初めて「カレー」という言葉が紹介された記録とされている。ただしその発音はカタカナで「コルリ」と表記されていた。

1882(明治15)年に福澤が創刊した新聞『時事新報』では、1893(明治26)年より新聞史上初と思われる料理記事「何にしようネ」の連載が始まった。毎日の献立に悩む主婦に向けた実用記事で、読者から好評を博した。紹介される献立は旬の素材を生かした和食中心ながら、牡蠣フライ、トルコライス、スープ(ソップ)、サラダなど日本になじみが薄かった洋風メニューが盛り込まれていた。ちなみに1888(明治21)年に日本で初めて新聞紙上に天気予報を掲載したのも『時事新報』である。

『時事新報』より「何にしようネ」(1894年1月9日付)(慶應義塾図書館提供)

1870(明治3)年、福澤は発疹チフスを患い、一時は重篤な状態に陥った。しかし、牛乳を毎日飲んで無事に回復。その牛乳を取り寄せていた築地牛馬会社の求めに応じて、牛乳の効用を社会に広める文章を記し牛乳の普及にも貢献した。

「著作権法」の考え方を世の中に広める

明治初期に『学問のすゝめ』をベストセラーにした福澤は日本で初めて著作権の概念を提唱した人物でもある。早くも幕末の『西洋事情初編巻之二』で著作権に言及しており、その後『西洋事情外編』において、「copyright」(コピーライト)に「蔵版の免許」という訳語をあてている。

『西洋事情外編』(福澤研究センター提供)

『西洋事情』は幕末・維新期の日本人に西洋社会の最新事情を紹介し、近代化を促した重要な著作だが、無断で編集された「偽版」が多数出回り、その一つ『増補和解西洋事情』の版元はなんと福澤の適塾時代の先輩にあたる黒田行次郎(麹廬(きくろ))だった。こうした偽版を「著作権の侵害」と受け止め、1868(慶応4)年4月『中外新聞』第12号に抗議文を掲載。その後も著作者の権利を法によって守る必要性を明治政府に訴え、1869(明治2)年に出版条例が制定されるに至った。これがわが国の著作権法の先駆けと言われている。

20世紀の幕開けに書かれた「独立自尊迎新世紀」

1900(明治33)年の大晦日、20世紀の始まりに際して慶應義塾では塾生主催の「世紀送迎会」が催された。真夜中12時を迎えた瞬間、教師の号令のもと塾生たちが封建時代の悪弊が描かれた3点の風刺画に向けて一斉に射撃。すると暗闇に仕掛け花火による「20センチュリー」の文字が浮かび上がり、新しい世紀を迎えた。「世紀送迎会」の間、福澤は終始愉快そうに談笑していたという。西暦に基づく「世紀」という概念は当時の日本人にとってなじみが薄かった。しかし「世紀送迎会」の様子は、時事新報によって絵入りで詳しく報じられ、社会的にも大いに話題となった。

そして1901(明治34)年元旦、20世紀を迎えたその日に、福澤は慶應義塾の建学の精神である「独立自尊迎新世紀」という言葉を力強い文字で記した。その1カ月後、近代日本の先導者である福澤諭吉は、後進に未来を託して他界した。

それから100年後、21世紀前夜となった2000年の大晦日、福澤の思いを受け継ぐ塾生と若手教職員らによって三田キャンパスで第2回世紀送迎会が開催された。75年後の第3回世紀送迎会を担うのはまだこの世に生まれていない人たち。彼らのために私たちは今何ができるのか? 福澤による「独立自尊迎新世紀」の意味をあらためてかみしめ、未来に進んでいきたい。

福澤による「独立自尊迎新世紀」の書(慶應義塾図書館提供)

この記事は、『塾』WINTER 2026(No.329)の「ステンドグラス」に掲載したものです。