人生100年時代、AI技術は私たちの生き方、学び方を根本から変えようとしています。この変革期において、慶應義塾は日本の大学として世界でAI開発を主導するOpenAIと戦略的な協力関係を構築することを発表しました。福澤諭吉の精神に通じる「好奇心」をAIで増幅し、創造性と共感力を備えた未来の担い手をいかに育てるか。三田キャンパスでこの取り組みに関する覚書を交わした伊藤公平塾長とOpenAIのジェイソン・クォン最高戦略責任者(CSO)が、この歴史的な連携の意義について語り合いました。 (2025年12月9日に行われた伊藤塾長とクォン氏の対談・共同記者会見の内容を再構成してお届けします)
プロフィール
ジェイソン・クォン(Jason Kwon)
その他/OpenAI 最高戦略責任者(CSO)2021年、OpenAI入社。同社のグローバル戦略、パートナーシップ、AGI(汎用人工知能)実現に向けた取り組みを統括。同社以前は、米国のベンチャーキャピタルやスタートアップで法務顧問などを歴任。ソフトウェアエンジニアやプロダクトマネージャーとしても活躍。
伊藤 公平(いとう・こうへい)
教員・研究者/慶應義塾長プロフィール
ジェイソン・クォン(Jason Kwon)
その他/OpenAI 最高戦略責任者(CSO)2021年、OpenAI入社。同社のグローバル戦略、パートナーシップ、AGI(汎用人工知能)実現に向けた取り組みを統括。同社以前は、米国のベンチャーキャピタルやスタートアップで法務顧問などを歴任。ソフトウェアエンジニアやプロダクトマネージャーとしても活躍。
伊藤 公平(いとう・こうへい)
教員・研究者/慶應義塾長■AI時代を主導する連携の狙い
私たちOpenAIは、汎用人工知能(AGI)の恩恵を全ての人々に届けることを使命としています。そして、その核心は、「教育」にあると考えています。
なぜなら、AIの真の影響力は技術的進歩だけでなく、学生や研究者がこれらのツールを安全に責任を持って創造的に活用する能力から生まれると信じているからです。
私たちはAIの技術開発には長けていますが、「教育者」ではありません。将来の社会を担う若者たちがAIについて必要なことを学び、適切な価値観を身につけるために教育機関との連携が不可欠だと考えています。
そんな中でOpenAIが、日本の数ある大学の中から慶應義塾をパートナーに選んだのには、いくつか理由があります。
まず、科学、医学、社会科学、政策、倫理など多様な分野において専門知識を持つ研究者が多数在籍し、世界的に非常に高い評価を受けている教育研究機関であること。そして、その幅広い専門性に加え、多くの学生や活発な研究コミュニティがあることは、私たちにとって大きな魅力です。
今回の提携によって、私たちはOpenAIの技術と慶應の教育・研究力を融合させ、「先進的なAIキャンパス」構築を目指したいと考えています。そのために、私たちが考える提携の柱は次の三つです。
第一に、人文科学から医学、工学に至る全ての分野で、学生・研究者が創造性と判断力を支えるAIリテラシーを基礎スキルとして学ぶ環境を整備します。
第二に、医学や科学、教育などの学術分野で共同研究を推進し、実社会への応用を見据えた学際的イノベーションを加速させます。
第三に、透明性や安全性を統合した、倫理とガバナンスを重視したAI開発モデルをOpenAIと共同で構築し、日本と世界のベストプラクティスに貢献することを目指します。
特に強調したいのは、この提携によって「人間を機械で置き換える」のではなく 、人間性や共感力、責任感を再確認しつつ、コミュニティに強力なツールを提供するということです。
■「一方的に教える」時代の終焉
伊藤塾長が掲げる「AI-Native University(AIキャンパス構想)」を3年以内に実現するというビジョンはとても魅力的です。これは、OpenAIが考えるAI技術の有益性ともよく合致しています。
また、慶應の医療分野での高度な研究も提携の理由の一つでした。医療や生命科学の分野において、AI技術は非常に大きな影響を与えると私たちは考えています。
AIによる科学的推論はますます高い能力を持つに至っています。こうしたAIモデルは、幅広い情報を処理して新たな洞察を得ることができるため、より良い健康や寿命の延長、そして生活の質の向上につながります。OpenAIは、この分野の専門知識とモデルの能力に強く期待しています。
AIは教育にも変革をもたらします。私は根本的に、教員が一方的に知識を教える時代は終わると考えています。慶應の創設者・福澤諭吉の時代のように、教員と学生がフラットな立場で議論を深め、高め合う時代に戻ったと感じています。AIはそのプラットフォームとして使われるのです。
人間は若い時に好奇心を高めることがとても重要です。AIについても限られた目的だけに使うのではなく、もっと知りたい、新しい環境を作りたいという気持ちでAIを活用することが大切です。
特に人文学・社会科学の分野において、研究者たちがAIをどう使いこなせるかを模索しています。OpenAIとの連携を通じて、人文学や社会科学の研究をどのように加速し、新しい発見や政策提言につなげていくかを探ります。
また、文学など様々な分野の関係性について、人間の想像を超えた新しい提案がAIによって生まれる可能性もあります。そのような新しい発見ができれば素晴らしい。
他方、大学との連携はOpenAIにもメリットをもたらすでしょう。AIを社会実装する前にキャンパスで試すことで得られるフィードバックは重要です。特に日本語のマルチリンガル対応など、英語中心のChatGPTを日本市場に適応させる研究に寄与します。
■好奇心育むAI活用と人的資本開発
教育に注目しつつ、研究においてもOpenAIの技術と慶應の強みを組み合わせていきます。最終的な目標は、学生や研究者が世界を変えていく力を持つことです。
例えば、慶應では2019年、AI・高度プログラミングコンソーシアムを設置、塾生の塾生による塾生のためのAI・プログラミング学習のための大規模なラウンジも日吉キャンパスに開設しています。これは、AIが得意な学生が他の学生にツールの使い方や開発を教える場であり、教える学生には給与が支払われます。ここでは、学生が中心となり「AI福澤諭吉」などの仕組みを制作。上級から初級まで全てのレベルをカバーし、やがて教員も学生からAIを学ぶサイクルが生まれています。
このようにAIの活用において最も大切なのは好奇心であり、単なるツールとしてではなく、好奇心を持って質問することで様々な答えが得られます。教育機関として大切なのは好奇心や志を高め、人間同士が高め合う環境を作ることです。
伊藤塾長との対話を通じて、OpenAIは慶應の「AIキャンパス構想」(※)を様々な形で支援できると感じました。
その一つが「教育と人的資本開発」です。学生がAIの単なる利用者ではなく、未来を形作る参加者となる学習環境の構築を支援します。
例えば、ChatGPTには「スタディモード」という機能があり、単に答えを提供するのではなく、教師やメンターのように対話を通じて段階的に自分で考える力を養う学習を促進します。
実際、世界の教育現場では教授たちがAIツールを学習方法に適応させています。例えば、学生がAIを使って回答を得るだけでなく、AIにどんな質問をして答えを導き出したのか、そのプロセスも学生に提出させるなど、学習プロセス自体を評価する方法が取り入れられています。
今回の提携は柔軟なフレームワークとして設計されており、OpenAIと慶應の間に連絡窓口を設けて継続的な対話を行っていきます。これは長期的なパートナーシップであり、様々な教育・研究分野で協力の機会を模索していきます。
※慶應義塾大学の「AIキャンパス構想」とは?
「塾生・研究者にとって最高のAIキャンパスを3年以内に実現する」という目標に向けて、世界トップレベルのAIプラットフォーム企業との連携、全学的なAI環境の整備、AI時代こその人間中心の独自性や責任感を発揮する教育研究の創造、人と人の直接的な交流やチームワークを促進するプロジェクト。学生・研究者一人ひとりが最新のAIツールを安全かつ自由に活用できる環境を整えるとともに、AIの適正な活用を追求することから人間中心の教育・研究モデルを進化させる。また、事務部門においてもAIによる業務高度化を推進し、教職員がより本質的な教育研究支援や学生対応に注力できる体制の構築を目指す。
■人間中心のAIが実現する未来
サム・アルトマンCEOも話しているように、AIによる肯定的な未来とは、全ての人々がこれまでよりもはるかに多くのことができるようになることです。この「知性」にアクセスすることで、何でも学ぶことができ、何にでも応用できる。重要なのは、知識そのものではなく、その知識を自分のものとし、意志や創造性、精神、そして互いの関係に適用する能力を身につけることです。AI技術によって、全ての人々がそれを実現し、世界に影響を与え、それぞれの目標を追求する能力を感じられるようになることが私たちの夢です。
人生100年時代において、長い人生を幸せに、世界的にも平和に過ごすことが大きな課題となっています。AIを単に経済的発展のために効率的に使うだけでは、100年間のマラソンを走り抜くことはできません。
人間中心に考え、自分探しをしながら社会に貢献し、幸せな人生を送るために、AIが人間的に参加し、正しい使い方ができれば良い方向に進むでしょう。どのようなテクノロジーも悪用する人はいますが、人間中心となって力を抑え、持続可能な地球と日本を作ることが最も重要です。
■戦略的優位へ 日本のAI導入加速
今、各国はAI分野において戦略的な成功を目指してしのぎを削っていますが、将来にわたる戦略的な優位性を生むのは、科学的研究を通じて新たに発見することです。慶應のような優れた研究機関とOpenAIが連携することは、日本がこのチャンスを活かすために貢献できる方法の一つだと考えています。
日本は他国に比べてAI導入が遅れていると言う人もいますが、私はもはや障害はないと考えています。たしかに、日本は技術導入に慎重であり、信頼関係の構築に時間をかけてきましたが、むしろ日本の文化的価値観に合っているのではないでしょうか。過去6カ月間で企業のAI導入は加速しており、現在は遅いとは言えません。
日本では今、AI導入に関して構造化された学習が求められています。このため、OpenAIは企業向けのトレーニングプログラムや認証プログラムを提供しています。基本的なスキルを教え、特定のビジネスタスクに応用できる取り組みにも力を入れています。
■AIを使い好奇心を持って学べ
AI時代を担う学生たちにはぜひ、好奇心を大切にしてほしい。受験勉強のような目的だけのための学びではなく、自分の好奇心と好きなことを仕事にも活かせるような生き方を目指してほしい。AIは好奇心を刺激するツールになり得ます。今ほど好奇心が必要な時代はないのですから。
たしかに、今は学生にとって非常にワクワクする時代ですね。世界中の知識や洞察、そして高度な知能技術が手の届くところに広く揃っているため、学べないことはほとんどありません。全ての学生に伝えたいのは、単に答えを探すだけではなく、これまで探求が難しかった分野もAIというツールを活用して積極的に学んでほしいということです。AI技術には、より良い質問の仕方を身につけたり、適切な対話を行ったり、あなたが理解しやすい方法で情報を処理したりするための機能が搭載されています。特定の教え方に合わせる必要はなく、自分が一番学びやすい方法でシステムに話しかけることも可能です。これほど学生にとって恵まれた時代はこれまでになかったでしょう。
構成:朝日新聞GLOBE+編集長 玉川透
写真:カメラマン 山田英博