登場者プロフィール
小笠原 和美(おがさわら かずみ)
国際刑事警察機構(ICPO)執行委員警察大学校国際警察センター所長兼警察庁長官官房審議官(国際担当)総合政策学部 卒業塾員(1994総)。卒業後警察庁入庁。福島県警警務部長、群馬県警察本部長等を経る。2025年11月国際刑事警察機構執行委員に選出。
小笠原 和美(おがさわら かずみ)
国際刑事警察機構(ICPO)執行委員警察大学校国際警察センター所長兼警察庁長官官房審議官(国際担当)総合政策学部 卒業塾員(1994総)。卒業後警察庁入庁。福島県警警務部長、群馬県警察本部長等を経る。2025年11月国際刑事警察機構執行委員に選出。
インタビュアー:土屋大洋(つちやもとひろ)
常任理事インタビュアー:土屋大洋(つちやもとひろ)
常任理事
初赴任地で震災に遭う
──SFCの第1期生である小笠原さんが昨年秋に、国際刑事警察機構(ICPO、インターポール)の執行委員(アジア代表)にアジアから女性として初めて選出されました。あらためておめでとうございます。警察庁キャリアとしての歩みから伺いたいのですが、学生時代から刑事や警察に憧れがあったのですか。
最初は他の役所を考えていたのですが、たまたま三田の法学部の同期から警察庁の説明会に誘われて行ったところ、「現場にも行く。地に足の着いた行政ができる」という話が面白かったので興味を持ったのです。
内定の段階で、「危険だから」と心配する両親に反対され、「私は行きたいんですけど、親がどうしても反対するのでお受けできません」と言ったら、警察庁の人事課の方が親に会って説得してくれて、オッケーになりました。
──でも、いきなり暴力団対策課に放り込まれるわけですか?
驚きですよね? こんな可憐な女の子をなぜと(笑)。警察庁では、最初の研修後は現場に配属されます。兵庫県警が平成6年から女性警察官の3交代の泊まり勤務と拳銃の携帯を開始し、女子の配属が可能となったと聞き、希望しました。赴任直後は、生田警察署の生田前交番、刑事1課、刑事2課、暴力団対策課で勤務しました。
──しかし、そこでいきなり阪神・淡路大震災が来てしまうわけですよね。
年明けの1月17日から本部の暴力団対策第2課勤務と言われ、いよいよだなと思った当日の朝、あの地震が。ゴゴゴゴゴという地鳴りが近付いてきて、次の瞬間にドンと下から突き上げられて。すぐ外に出ると、同じ敷地内の警察署はつぶれていて、パトカーも軒の下敷きになっていました。
災害対策本部が立ち上がり、管内で火事が続いていた長田署の遺体安置所に配属され、約1カ月間、遺族対応と検視の補助に従事しました。震災の翌朝、全国各地の名前が入ったパトカーが路上に並んでいるのを見て、警察の機動力に感銘を受けました。また、兵庫県警の警察官や職員が、自分や家族のことはさて置き、現場にかけつけ救助や捜索活動に当たる姿を見て、警察官としての使命感を実感しました。
性犯罪被害者支援を続けて
──すごいご経験でしたね。その後総理府(当時)の男女共同参画室に行かれ、コロンビア大学に留学される。この間にある種ライフワークとなる性犯罪対策に出会ったのですか。
男女共同参画施策の柱の1つに「女性に対する暴力の根絶」があります。当時ご一緒した有識者の方々が、日本の刑法で強盗罪の罰則より強姦罪の罰則が軽いのは納得できない、と話していたのが印象に残りました。
その後、日本にはまだ新しい概念だった「ドメスティック・バイオレンス」をテーマにして留学した際、ニューヨークの街角で被害者支援センターのオフィスを見つけました。平成8年に、警察庁が被害者対策施策を開始していたので関心を持ち、週1回ボランティアをさせてもらったのですが、被害者にアウトリーチしていくプロアクティブな取組を体感し、日本との違いに大変驚きました。
──2008(平成20)年に警察大学校特別捜査幹部研修所主任教授になられた時に性犯罪対策にまた関わられます。
本格的な問題発見はこの頃です。警察大学校にある警察政策研究センターが主催したその年のシンポジウムのテーマが「これからの性犯罪対策」で、韓国警察の人を呼んでいました。
当時の韓国では、総合病院の一角に性暴力被害者のためのワンストップ支援センターをつくっていました。性犯罪被害に遭った際、警察への届出はためらうけれど、身体への影響が心配で病院に来る被害者が相当数います。そこで、被害者が受診しやすいように性暴力に特化した支援センターを総合病院につくり、後の捜査に必要となる証拠を証拠採取キットで採取し、一定期間保管する制度ができていました。
すでに北米には被害者を支援する専門の看護職Sexual Assault Nurse Examiner(通称SANE)という資格があり、日本にもSANEを養成する研修を実施している団体があることも、この頃知りました。
講演後、日本には病院に置いておく証拠採取キットがないことに気付き、警察庁の関係部局に声を掛け、専門家の意見も聴きながら、日本版の証拠採取キットの開発にこぎつけました。
──震災後の福島でも性犯罪対策をされていますね。
2011年3月、東日本大震災が発生すると、性暴力被害者を支援する女性たちから「避難所における性暴力予防に力を貸してほしい」と相談を受けました。同年4月から福島県警の警務部長に赴任したので、啓発カードを避難所で警察官から配布してもらいました。在勤中は、福島県警、福島県産婦人科医会、ふくしま犯罪被害者支援センターの3者で性暴力被害者のためのネットワーク組織「SACRAふくしま」を立ち上げ、大人や大学生向けの講演をするようになりました。
その後、警視庁広報課長時代に性虐待の被害当事者の方たちに出会い、被害が2、3歳の頃から始まっていたが、当時は何をされているかわからなかったといった話を聞き、幼児期から被害を認識し、自分を守るための知識を付けておくことが必要だと実感しました。2016年に小学校1年生から中学校3年生までを対象に性暴力予防について講話する機会をきっかけにリーフレットを作り、小学校、中学校、高校で性暴力予防についての講演活動をするようになりました。
震災後の福島を支援
──もう1つ、今のお話にも出てきましたが、東日本大震災、原発事故後の福島に県警警務部長として赴任され、震災・原発事故からの支援復興の仕事もされていますね。
東日本大震災が発生した時は警察庁で勤務していたのですが、発災1週間後に福島に行く話が出て、1カ月後に赴任しました。当時、阪神・淡路の現場を経験し、かつ、原子力安全・保安院で原子力防災専門官を経験していたのは私しかいませんでしたので。
着任してすぐに原子力発電所の所在地を管轄している警察署の幹部に会った際、「皆さんがどれほどの苦労をされてきたか、現場にいなかった私には本当のところはわかりませんが、16年前の阪神・淡路の時は私も現場にいたので、皆さんの苦労も少しは想像できると思います」と伝えると、「そういう経験のある人が来てくれてよかった」という言葉をいただきました。また、この時、個別に面談した女性職員から、健康への不安を打ち明けられ、被ばくの有無を可視化する必要があると考え、避難区域で勤務する職員への検査の実施も決めました。
阪神・淡路大震災の後、全国警察から特別出向して助けてくれた部隊には「フェニックス隊」という名前が付いていたのを思い出し、福島県警に350人の特別出向者を迎え入れる時に「ウルトラ警察隊」という名前を付けました。福島はウルトラマンの生みの親である円谷英二さんの故郷です。
しばらくして日々の報道で警察の救助活動が取り上げられていないことに気付き、避難区域の状況や警察の活動状況を県民の皆さんに伝えたいと思い、写真展の開催を提案しました。職員と家族の手記も展示すると、会場に足を運んでくださった方から、「涙で途中で読めなくなったので、手記を本にして出版してほしい」といった声が寄せられたため、書籍化を提案、『ふくしまに生きる ふくしまを守る』という書籍を発刊することができました。
「女性初」に思うこと
──その後、警視庁広報課長時代には、「まさかの坂道」という詐欺防止の啓発ソングを自作し、カラオケにも入っています。そして16年に44歳で函館方面本部長、女性初の方面本部長となったということですね。
警察庁に入った時、自分より先輩の女性は5人だけでしたので、その後に就くポストのほとんどは「女性初」が付いてまわりました。徐々に採用が増え、警察組織における女性幹部もそろそろ「当たり前の存在」になりつつあるのではないかと思います。
「女性初」と言われることで社会的に注目されることは事実でしたので、警察としてアピールしたいことを伝える契機にしたいと考えてきました。「性暴力に関心を寄せているのは、女性だからではないか」という指摘を受けたこともありますが、男性の性被害も少なくありませんし、性暴力をなくす取組には男性の主体的な参画が不可欠なので、女性の問題だと思われないようにしていきたいと思っています。
──函館方面本部長時代はいかがでしたか。
函館在勤中は、地元の自治体、医療機関、NPO等と協力し、子どもを性暴力から守るための取組を推進する「函館性暴力被害防止対策協議会」を立ち上げ、病院を拠点とする性暴力被害者支援のためのネットワーク「函館・道南SART」を始動しました。
そして、2019年、大学時代の同期生が、低年齢の子どもに伝えるなら「絵本」がいいのではと企画を持ちかけてくれて、21年に性暴力予防教育絵本『おしえて!くもくん プライベートゾーンってなあに?』を監修し、出版することができました。
SFCで学生を教えて
──そして20年4月にSFCに来てくれたわけです。コロナ禍であるにもかかわらず、いろいろな活動をされていましたね。学生と「#NoMoreChikan」のプロジェクトを立ち上げていただいたり。あの2年半はどのような時期でしたか。
すごくよかったです。慶應義塾大学教授の名前で発言することができ、NHKの「視点・論点」に出て性暴力の問題を発信することもできました。また大きかったのは、ジェンダーの授業をやらせてもらったことです。
──学生をかなりインスパイアしていただきました。
いえ、私のほうが学生にインスパイアされたんです。「#NoMoreChikan」プロジェクトもジェンダーの授業からです。ある男子学生からの「痴漢問題をどうにかしたい」という相談をきっかけに、彼の母校である高校での実態アンケート調査を一緒に実施したり、痴漢撲滅に熱心に取り組んでいた他の女子学生とともに警視庁に提案に行ったりしました。また、「キャンパスから性暴力をなくしたい」という取組を行っている学生たちからは、その純粋さや熱量に動かされ、塾の幹部の方に彼らの取組の意義を伝えたり、内閣府男女共同参画局長との面会をセッティングしたりしました。
私が接した学生は限られていますが、出会った学生たちの、社会をより良くしていくためにどうしたらいいかという課題発見と解決策を模索する姿勢に、初代総合政策学部長の加藤寛先生の教えが繋がっているなと感じました。
インターポールの役割
──特別捜査幹部研修所長に2023年になられ、その後、いよいよインターポールの話が来たわけですね。
24年10月に「ICPOの執行委員選挙に出ないか」と。それまで国際捜査もインターポールもほぼ無縁でしたから、正直、面食らいました。
──そして選挙を経て執行委員に選ばれた瞬間はいかがでしたか。
選挙では4分間スピーチするのですが、その中で自分なりの信条をできるだけ盛り込んだつもりです。その柱の1つが「私たちが行動を起こさなければ何もなすことはできない」というメッセージです。
世界をより安全なものにするために共に行動していきましょうという呼びかけですが、私自身、任期の3年間でどのように貢献するかという覚悟を込めました。当選の瞬間は、その責任の重さに身の引き締まる思いでした。
──この執行委員というのは、いわば非常勤ですが、実際の業務はどういうことをするのですか。
年に4回執行委員会があり、基本的には総会で決定された事項のフォローアップと、インターポールの中立性や信頼性が損なわれないよう、組織運営を監督する役割です。特に国際手配書(Notices)というものがあるのですが、これがインターポールの一番の肝です。捕まえたい犯罪者が外国にいる時、「見つけて、捕まえて」と加盟196カ国の警察が互いにお願いすることができる、一番大きな機能です。
ここで重要なのが、インターポールが政治的に中立であることを担保することです。政治利用が疑われるケースが発生すると、インターポール全体の信頼性にも関わってくるので、そのような場合は、インターポールの事務総局でしっかりチェックをして、執行委員会がその状況を監督しています。
──日本からはどういう貢献をしていきたいですか。
日本からの執行委員の選出は7年ぶりです。アジア枠代表ですので、まずはアジア地域のニーズを意識しつつ、世界規模での捜査力の向上と捜査協力の効率化、犯罪抑止の発展に貢献できればと思います。
日本としては、警察庁が、60年以上前から国際協力機構(JICA)と共同して途上国に対して日本の捜査技術を移転するプロジェクトを実施したり、治安維持の取組を紹介するキャパシティビルディングの研修プログラムを提供してきました。
現在もインドネシア国家警察に対して、民主化支援を始めとするプロジェクトが四半世紀続いています。また、日本政府としてICPOのプロジェクトへの予算拠出もしています。近年はJICA×ICPOのコラボレーションによる捜査協力と技術向上のプロジェクトも始まりました。日本に学びたいという国は多いので、グローバルに貢献していきたいと考えています。
──アジアで女性初、ということについてはどう思われていますか。
選挙運動を通じてこれまでアジア地域から執行委員に女性が選出されたことがないと知り、他国の女性警察官からも応援をもらったりしたので、よいロールモデルになれたらと思っています。また、性別にかかわらず、すべての警察官が活躍できるよう、心理的安全性の高い職場作りの重要性を広めたり、女性も含めたダイバーシティ人材の活用戦略などの共有を推奨し、各国を後押しできたらと思っています。
もう1つ、犯罪対策を推進していく上で肝心なのは、警察が国民から信頼されることです。なので、警察組織が政治的圧力や汚職に左右されず、公正で信頼される組織となれるよう後押しすることも重要だと思っています。
汚職体質といった課題は警察だけの話ではないので難しいところですが、我々は摘発する側でもあります。国際警察センター所長として、研修に参加する各国の警察幹部に話をする機会もありますので、折に触れてその重要性について伝えていきたいと思います。
SFCで学んだ「問題発見」の大切さ
──お話を伺い、小笠原さんはちょっとした違和感を忘れずに、問題提起し、変えていくことをずっとやられてきたような気がするのです。
初代の総合政策学部長加藤寛先生は、問題は解決することよりも、問題の所在を発見することのほうが難しいし、意味があると言われていました。視野を広く持ち、ちょっとした違和感に気づき、課題を発見し、よりよい状態にもっていけるかが重要だというメッセージと受け取っています。その考え方は、仕事をする上で私の基本になっていますので、良い導きをいただき有り難かったなあと思っています。
在学中は盛んに「君たちは未来からの留学生だ」と言われました。今の学生たちも本当にそうだと思います。未来からの留学生である彼らが過ごす未来をよりよくしていくために、ぜひ慶應義塾としても彼らの声に耳を傾け、後押ししていくような大学であってほしいと思っています。
──よくわかりました。本日は長い間、どうも有り難うございました。
(2026年5月9日、三田キャンパス内にて収録)
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。