慶應義塾

藤田 護:ことばを学ぶ意味

公開日:2026.05.12

執筆者プロフィール

  • 藤田 護(ふじた まもる)

    環境情報学部 専任講師

    専門分野/言語人類学

    藤田 護(ふじた まもる)

    環境情報学部 専任講師

    専門分野/言語人類学

大学でラテンアメリカ地域研究を学び、徐々にアンデス高地に通うようになった私は、まず最初にスペイン語を学び、後からアンデス高地のケチュア語とアイマラ語を学ぶようになった。地域研究では、まず言葉を学んでその場所で生活できるようになることが目指される。スペイン語を学び始めて3カ月経った頃の専攻の親睦会では、私を含めた新しい学生たちがネイティブの先生たちのところに放り込まれ「1時間は話をもたせてこい」と言われた。大学院の先輩たちも、たまにしか日本に戻ってこない人のほうが多かった。

日本ではそれほど知られていないが、アンデス高地のケチュア語もアイマラ語も、話者を100万人単位でもつアメリカ大陸最大規模の先住民言語だ。ケチュア語の話者は、推計のしかたでは1000万人いるかもしれない。ペルーのクスコの郊外の小さな町カルカで仲良くなった、雑貨を売る商いをやっていた家族のおばあちゃんはケチュア語しか話さなかったし、当時のボリビア・ラパスの日本大使館では、通用口を出た真ん前の軽食スタンドの夫婦は、私とアイマラ語で話して、周囲のスペイン語しかわからない客たちの悪口を言って楽しんでいた。つまり、自分が生活していくためにこれらの言語を学ぶことは、私にとって当たり前のことだったのだ。

しかし、ラテンアメリカでやっていることを日本でもやろうとして、そして先住民言語での研究のしかたを学ぶためにアイヌ語を学び始めてから、話が変わった。アイヌ語は、明治以来の日本国家の同化政策の下で、家族が子どもたちに言葉を継承しなくなった。今、若い世代のアイヌの人たちがアイヌ語を取り戻そうとする取り組みが進んでいるが、私にとってのアイヌ語を学ぶ意味は──まして話せるようになろうとする意味は――生活と研究の「必要」ではない。それはおそらく、自分が学生だった頃に知り合ったその人たちにとってアイヌ語が大切な言葉であって、私がそのことに共鳴しているからだと思う。

チチカカ湖南岸の村1つでしか話されないウル系言語のウチュマタク語は、流暢な話者が亡くなり、教育省に任命された1人の若い専門家が熱心に言語復興に取り組んでいる。最近の私は講義で「1人でもその言葉を大事だと思っている人がいれば、それを学ぶことには意味がある」と言っている。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。