慶應義塾

THE没入感

公開日:2026.06.25

登場者プロフィール

  • 佐藤 いまり(さとう いまり)

    国立情報学研究所教授東京大学大学院情報理工学系研究科教授総合政策学部 卒業

    1994年慶應義塾大学総合政策学部卒業。博士(学際情報学)。物理現象を考慮した画像合成および内部状態解析に取り組む。

    佐藤 いまり(さとう いまり)

    国立情報学研究所教授東京大学大学院情報理工学系研究科教授総合政策学部 卒業

    1994年慶應義塾大学総合政策学部卒業。博士(学際情報学)。物理現象を考慮した画像合成および内部状態解析に取り組む。

  • 園田 洋世(そのだ ようせい)

    オーディオ評論家総合政策学部 卒業

    1998年慶應義塾大学総合政策学部卒業。オーディオユニオンお茶の水店で修業を積んだ後、2023年より評論活動を開始。自宅のオーディオシステムで日々試行を重ねる。

    園田 洋世(そのだ ようせい)

    オーディオ評論家総合政策学部 卒業

    1998年慶應義塾大学総合政策学部卒業。オーディオユニオンお茶の水店で修業を積んだ後、2023年より評論活動を開始。自宅のオーディオシステムで日々試行を重ねる。

  • 杉浦 みな子(すぎうら みなこ)

    AV・家電記者/ライター環境情報学部 卒業

    2006年慶應義塾大学環境情報学部卒業。2010年より記者として活動を始め、おもに音楽や個人向け機器について執筆。現在は映画や歴史、カルチャー等を幅広く取材。

    杉浦 みな子(すぎうら みなこ)

    AV・家電記者/ライター環境情報学部 卒業

    2006年慶應義塾大学環境情報学部卒業。2010年より記者として活動を始め、おもに音楽や個人向け機器について執筆。現在は映画や歴史、カルチャー等を幅広く取材。

360度取り囲むような音環境

園田

オーディオ・ヴィジュアル業界では最近「イマーシブ(没入型)」を謳ったものが人気です。私はオーディオの専門家ですが、オーソドックスな2ch(チャンネル)のステレオ、いわゆるピュアオーディオ(音楽再生を追究するオーディオ)が専門です。「イマーシブオーディオ」は2chよりチャンネル数が多いマルチチャンネルで"立体的な音場空間" "没入感"を作る仕組みですが、ピュアオーディオもずっと、"立体的な音場空間" "没入感"を追究してきました。

エジソンが蓄音機を発明したのは1870年頃と言われますが……。

杉浦

かなり昔にさかのぼりますね(笑)。

園田

約150年前にエジソンが蓄音機を開発したことによってモノラルのオーディオ技術が誕生しました。ステレオ(2ch)で再生可能なLPが登場したのが1958年。一方、映画館などで音響を立体的に構築するいわゆるサラウンドの最初の作品は、1940年のディズニー映画「Fantasia」でした。

サラウンドは視聴者が音に包み込まれるような感覚をつくり出すために、スピーカーを水平方向に多数配置して展開するものです。これに垂直方向の立体感を加えたものが「イマーシブオーディオ」です。鑑賞者を360度取り囲む球体のような音環境が実現しました。

佐藤

イマーシブオーディオに対応した音楽や映像ソフトは専用に作られたものなのでしょうか。

園田

「イマーシブ」と銘打った音楽・映像ソフトは専用の機材やソフトウェアを使って作り込まれたものです。

佐藤

古いジャズのレコードやCDには、収録されている音楽とは関係のない観測環境に含まれる雑音が記録されていることがありますが、逆に雑音があることでかえってその場にいるような臨場感が得られることはありますね。

園田

佐藤さんが聴いたのはSACD(スーパーオーディオCD)ですね。SACD化される録音は最新スペックでデジタル録音したものだけでなく、古い録音をハイレゾ化してリプロデュースしたものも多いのですが、そもそもこうした古い録音のマスターは大部分がアナログ録音です。

佐藤さんがお聴きになったような古いジャズのCDの音源は、元々がアナログ機材を用いて録音されたものです。ジャズの熱心なマニアにはLP、しかもオリジナル盤(初盤)を探し求める方々が多い。オリジナル盤の音にはその後に出た再発盤あるいはリマスター盤では削がれてしまった生々しい雑音を含む空気感があります。私もリマスター盤で聴き馴染んでいた古いアルバムを初めてオリジナル盤で聴いた時は、その生々しさにとても感動しました。

佐藤

私が聴いた音源にも、そこにあたかも演奏者がいるような情景が浮かびました。その空間に引き込まれるかのような感覚がありました。

園田

長い間密封されていた缶詰が開けられて、当時の空気が飛び出してくるかのようですよね。ハイレゾCD、SACDは通常CDと比べてスペック的に優位であることに加えて、制作時にマスターを厳選することが多いからです。

杉浦

SACDの制作過程は通常版と随分違うわけですよね。

園田

SACDは音質にこだわって作られるので、元になるマスターもオリジナルにより近いものが使われます。マスタリングの過程でもケーブルなどを吟味し、腕のいいマスタリングエンジニアが手がける例があるなど、こだわっています。著名なジャズのアルバムなどはCDだけでもいろいろなバージョンがありますが正直言って玉石混淆です。それは通常CDにスペック的な限界があるから、というだけではなく、そもそもその制作時にチョイスされるマスターが必ずしも高品質とは限らないからでもあります。

リビング向けのマルチオーディオ

佐藤

自分にとって心地よい音で聴くために、スピーカーはどのように選べばよいでしょうか。

園田

「ピュアオーディオグレード」のスピーカーはこだわり始めると大変なことになります。ハマると抜けられません(笑)。アンプもピュアオーディオグレードのものは、マルチチャンネル対応・イマーシブ対応のAVアンプより概してはるかに高額なものが多いですね。

CDそのものは1970年代にソニーとフィリップスが開発した規格です。その後、ソニーとフィリップスが中心となり次世代CD規格としてSACDが作られました。ほぼ同時にDVDオーディオという規格も誕生しましたが、そちらは残念ながら誕生後間もなく消えてしまいました。そしてSACDが誕生した際に「SACDマルチ」というマルチチャンネルの規格も登場しました。

しかしSACDマルチはほとんど普及しませんでした。オーディオファイルがマルチチャンネルの方向に進んだ例は非常に少なく、2chのユーザーが圧倒的多数を占める状況が続いています。500万円の予算があった場合、たくさんのスピーカーとそれらを駆動するパワーアンプに分散するよりは、2ch用の2本のスピーカーとそれ用のアンプに集中投資するほうが高い解像度や高度な空間表現力、大きな音楽的満足度を得られる可能性が高いからです。

再生される音楽アルバムの方も結局、2chで制作される例が圧倒的に多かったですからね。

杉浦

佐藤さんが普段聴いているのはどんなオーディオでしょうか。

佐藤

音楽制作やマスタリングにも使われているスピーカーで、「作り手が意図した音に近い形で聴けますよ」とお店で勧められました。決して高価なスピーカーではないのですが、実際に聴いてみると、ポップスとの相性が良く、バランスと迫力のある音を楽しめています。

子どもの頃は、当時流行していたミニコンポに憧れていました。自分の部屋で音楽を聴きたいと両親にお願いしたところ、音楽好きな父が嬉しそうに買ってきてくれたのは、大きなスピーカーと本格的なアンプの組み合わせでした。

杉浦

それは期待以上の音だったことでしょうね(笑)。

佐藤

私のコンポだけどうしてこんなに大きいんだろうと(笑)。いい音で聴く楽しみを知ったので結果的に良かったのですが。

園田

お父様が選んだスピーカーのメーカーは覚えていますか?

佐藤

CORAL社のもので、大きな振動板を備えたスピーカーでした。

園田

往年の名機ですね。中古市場でも高値が付いています。

杉浦

オーディオルームのある家が減っている最近は音楽の聴き方も多様化していますが、王道の2chオーディオもさることながら、今どきはリビングでマルチスピーカー環境を作れる製品も登場しています。没入感を求める一般ユーザーが増え、機材メーカーもビジネスチャンスと捉えているようです。

佐藤

映画などを観ていると、音の臨場感に少し物足りなさを感じることがあります。テレビでも、もっと迫力や臨場感のある音を楽しみたいのですが、操作性の良い外付けのサウンドバーなどはありますか?

杉浦

究極の音質や機能性を求めると高価になりがちですが、リアルスピーカーと組み合わせてマルチ再生にカスタマイズできるサウンドバーもあります。リビングに置ける製品が一般のユーザーでも手を出せる価格帯で出ており、サウンドバーは近年盛り上がっていますね。

"スピーカーを消す"デザイン

杉浦

オーディオや映像機器のメーカーの方々に話を聞いていると、各社では没入感を高めるためにデザイン上のさまざまな工夫をしているようです。面白いのは、サウンドバー1つとってもデザインの考え方が分かれるところです。あるメーカーでは機体を目立たせなくするために黒くマットな質感の製品を開発しているのですが、別のメーカーではインテリアに馴染むようにとデザインコンシャスな製品を追究しています。

佐藤

真反対の方向性ですね。音の出どころを意識すると現実に引き戻されてしまいそうなので、機器の存在感があまりないデザインのほうが好みです。

杉浦

なるほど。オーディオの世界では「スピーカーの存在が消えたかのように聴こえるのが一番良い」とも言われますよね。

園田

高い空間再現性も追究しますからね。その一方で、視覚的にはTANNOYやJBL、アルテックなどの老舗メーカーの名機といわれるスピーカーはとにかく大きく、存在感を放っているのが特徴です。

マニアにはオーディオ機器を目で見て愛でたい気持ちもあります(笑)。機材の大型化は当時の録音の事情を反映したものでもありましたが、スピーカーの音は自分の存在を主張しないほうがいいというのは録音技術が発達したここ数十年の傾向かもしれません。空間情報も精緻に収録できるようになりましたから。

現在はスピーカーユニットが高性能化し、"ハイファイ性能を高める"ためにはスピーカー固有の箱鳴りはなくしたほうがいいとされています。スピーカーのエンクロージャーの響きでユニットの性能不足を補い演出する必要が少なくなったからです。ここ数十年の間に増えているトランスデューサータイプのスピーカーは、電気信号を空気の振動に正確に変換することに徹するという思想で設計開発されています。

またこのタイプのスピーカーには形を流線型にすることで、音波がスピーカーのエンクロージャーのエッジに当たって変に回り込むのを極力なくすようにデザインされているものが多いですね。古風な四角いエンクロージャーだと角で変に回折を起こしてしまって空間再現性能が低下するんです。

佐藤

本体の上に、小さな丸いスピーカーが付いているタイプもありますよね。有名な妖怪漫画のお父さんを思わせるような、丸っこいものがちょこんと(笑)。

園田

天板に丁髷みたいにちょこんと載っている英B&Wのノーチラスツイーターが代表的ですね。

聞こえないはずの音を感じる

佐藤

歳を重ねると、次第に聴こえる音域が狭くなると言われますが、それにともない没入感が得られにくくなったりするのでしょうか。

園田

「通常CD」の音域の上限が2万ヘルツに設定されているのは、それ以上の音は人間の耳に聞こえないとされているためです。しかし不思議なことにお年を召して1万5000くらいまでしか聞こえないはずの方の中にも、2万ヘルツ以上の音の違いがわかるという方がいます。ともあれ、老化で可聴帯域が狭まったのが原因で音楽への没入感が減ってきたという例は聞かないですね。

佐藤

民族楽器の中には、可聴域を超える高周波成分を含むものもあるとのことで、以前、映画『AKIRA』の音楽を生演奏で楽しむコンサートに行ったことがあります。さまざまな民族楽器や打楽器が使われていて、通常の音楽ライブというより、空間全体を味わうような独特の音響体験が印象的でした。打楽器の振動がとても心地よく、爽快感のある体験でした。音が空間の感じ方や気分に与える影響について、改めて興味を持ったのを覚えています。

園田

民族音楽で使われる楽器は、かなり高い周波数が出ていると言われます。アナログの時代から民族音楽はけっこうアルバム化されていましたが、とくにSACDやDVDオーディオが登場した時には、民族音楽をハイレゾスペックで録音したソフトも販売されました。フォーマット自体は理論上、10万ヘルツまで再生できるようになりましたから。

佐藤

たしかバリ島の楽器も使われていたと記憶しています。高い周波成分を含む楽器はどこに多いのでしょうか?

園田

東南アジアやインドに多いと言われますが、モンゴルの「ホーミー」や欧米の教会音楽など、高周波成分を豊かに含む楽器や音楽は世界各地にあります。

杉浦

聞こえていないはずの周波数帯でも聞こえ方に影響するというのはしばしば聞かれますね。理屈ではなく違って聞こえる世界があるのだと思います。

人間の目の特性を生かした技術

園田

佐藤さんはイメージング技術の専門家ですが、普段はどのような研究をされているのですか?

佐藤

最近は、光を使って体の中を見る研究をしています。体に光を当てると、血管がわずかに温まり、とても小さな音(超音波)が発生します。私の研究室では、その音を使って、体の中の血管などを見えるようにする技術を研究しています。

以前は、カーテンなど身近なものに映像を映して、どこでも画面のように使える「どこでもディスプレイ技術」を研究していました。まだプロジェクションマッピングが今ほど知られていなかった頃の研究です。

園田

それはどういうものですか?

佐藤

カーテンのように柄のあるものに映像を映すと、普通は模様が邪魔になってしまいます。本来は、暗い柄の部分にはより強い光を当てるなど、場所ごとに明るさを細かく変える必要がありますが、プロジェクターの明るさには限界があります。

そこで、人間の目の「気になる違いと、意外と気にならない違いがある」という性質を利用しました。カーテンの柄が目立たないように投影する映像を調整すると模様が消えたように感じられ、意外と自然に映像を見られることがわかりました。

杉浦

実際に投影機械を作るのですか?

佐藤

いえ、プロジェクターとカメラを使って、まずカーテンなどの柄をカメラで読み取ります。そして、そこに映像を映した時に人間にどう見えるかを計算し、元の模様が目立たなくなるように映像を自動で調整するソフトウェアを開発していました。現在は当時よりもはるかに大型のプロジェクションマッピングが各所で行われていますが、建物などに大きな映像を投影する場合もこの特性が生かされています。

ディスプレイにも似たような技術が使われています。人間の視覚はよく見える範囲が限られており、実は、周縁の映像は多少精度が低くともあまり気になりません。

杉浦

高解像度の映像であることが必ずしも重要ではないのですね。

佐藤

そうですね。カメラで投影する面の模様を見ながら、それに合わせて映像の色や明るさを自動で調整することで、違和感の少ない自然な投影が実現されています。

実は、周囲を取り囲むような没入感のあるディスプレイでも、人間の目の特徴がうまく利用されています。例えば、正面の映像の変化には気づきやすいのですが、視線の端のほうは少し画質が落ちていても、あまり気にならないんです。

「コンピュータビジョン」という研究分野は、もともとロボットに"目"を与えることを目指して発展してきました。人間の目を模倣するために、人間の目に近付けていった結果、人間の目は、実はすべてを正確に見ているわけではなく、あまり気にしていない情報もたくさんあることがわかってきています。

音に集中する時になぜ目をつぶるのか

佐藤

いい音楽を聞いている時に、つい目をつぶってしまうのはなぜなのでしょうね。

園田

集中したくなるからかもしれませんね。他の感覚をある程度遮断したほうがよく聞こえるとも言われます。

佐藤

コンサートホールなどではどうですか? 目の前でオーケストラが演奏している場合、見ているものと音の出どころが一致していますが、目をつぶることもあります。

園田

たしかにそうですね。「音像定位」と言われますが、演奏者の位置などの視覚情報があるとその演奏者の位置を聴覚でも認識しやすいとも聞きます。

佐藤

人は、見ている楽器の音に意識が向きやすいとも言われますよね。

園田

私はオーディオを聴く場合、目を閉じます。目の前のオーディオ機器をじっくり眺めながら聴くのも楽しいのですが、目を閉じて聴くと、ソフトに入っている情報をより克明に聴き取れる気がします。

佐藤

目を開けると聞こえる音にバイアスがかかるのでしょうか。

園田

それはあるかもしれませんね。ある著名なクラシック音楽評論家の方は以前オペラについて、家で聴くときは「音楽に集中したいから映像ソフトではなくCDやレコードで鑑賞する」と言っていました。音楽自体に没入したい場合は、視覚情報はむしろノイズと感じられてしまうのでしょう。視覚情報も面白いんですけどね。

いいスピーカーは姿形も美しい

園田

ピュアオーディオの世界はファンも設計開発者も高齢化しつつあり、市場は縮小化する傾向があります。他方で、例えば専門誌の1つ、『オーディオアクセサリー』誌では毎年「オーディオ銘機賞」を発表していて話題を集めるのですが、受賞するのは依然として2chの製品です。イマーシブオーディオに対応したマルチチャンネルの名機は、まだピュアオーディオグレードではあまり出ていないのが現状です。

杉浦

映像とセットになったイマーシブオーディオは盛り上がっていますが、ピュアオーディオの分野ではまだまだという感じですね。

園田

対応したソフトがまだ少ないという背景もあります。また、名機と言えるには音質だけでなく機材そのものの美しさも重要になります。

佐藤

たしかに。オーディオ雑誌を眺めていると欲しくなってしまいます。

園田

イタリアのソナス・ファベールというスピーカーブランドの創立者はバイオリン生産の聖地クレモナで実際に修業したと言います。そして同社のスピーカーは、音だけでなく姿形も美しい。

一口に没入感と言っても、視聴環境の物理的存在感から解き放たれてバーチャルリアリスティックな方向で追求する没入感もあれば、存在感の強い機器でしか得られない没入感もあるんですよね。

移動する没入感

杉浦

若い人たちが今音楽や映像を楽しむのは圧倒的にスマートフォンが多いと思いますが、最近は臨場感をもって味わいたいというニーズが高まっています。スマートフォンでももっといい音で聞きたいとか、きれいな映像で見たいという層は広がっています。まずはスペックの高いヘッドホンで聴いてみて、さらにピュアオーディオにも目を向けてくれないかなと期待しているんです。

園田

イマーシブオーディオは据置よりポータブルのほうから先に普及するのではないでしょうか。実際にイマーシブオーディオへの対応は元々マルチチャンネル化が進んでいたホームシアター系だけでなく、ヘッドホンやイヤホンが先行しています。あと白物家電系ですね。

最近はネットワークとつながっているスマートスピーカーにもイマーシブオーディオに対応している製品があります。スマートスピーカーの機体は基本的に1台だけですが立体的な音響を体験できるようです。

杉浦

スマートスピーカーはワイヤレスなので、ライフスタイルに合わせて家庭内のどこに置くかも自由に選べる良さもあって普及しているようです。キッチンに置いて家事をしながら使うのも便利ですよね。

園田

望む時、望む場所に、望む音響空間、バーチャル空間を作り出せるのがイマーシブの特徴の1つなのかな。

佐藤

それはコマーシャルのコピーになりそう(笑)。「自分の好きなところに好きな空間を」。いいですね。

カーオーディオの没入感

佐藤

自分の車をオーディオルームのように作り込んでいる知人がいるのですが、助手席で音楽を聴かせてもらうのはとても楽しい体験でした。車の移動によって身体が振動したり、空間が動くことで臨場感が高まる効果があるのかもしれません。

杉浦

カーオーディオはとても難しい分野で、こだわっている方はよほどくわしいはずです。私はちょっと手を出せません。

佐藤

たしかに、知人は自動車メーカーに勤めているので車を知り尽くしています。雑音の多い閉じられた空間であれほど音楽を楽しめるのはすごいことだと思いました。

園田

一般的なオーディオはある程度静かな部屋を前提にしているので、杉浦さんが言うようにノイズの多い車内で音楽を楽しめる空間を作るのはかなりハードルが高いんです。カーオーディオにDSP(デジタルシグナルプロセッサー)が必要とされるのもそのためです。

佐藤

自動車のエンジン音はハイブリッドカーが普及して小さくなっていると思いますが、逆にスポーツカーのようなエンジン音を付加している高級車もありますね。

園田

私はペーパードライバーで車にはくわしくありませんが、なんでもアルファロメオはエンジン音に魅力があるそうですね。「アルファサウンド」と言うんでしたか? 車を単なる移動の手段ではなく、趣味の対象として捉える発想と感覚を強く感じます。

プロジェクションのポテンシャル

杉浦

映像制作の現場でも、没入感を作り出すための技術が開発されているのでしょうか。

佐藤

そうですね。以前は、俳優をブルーバックやグリーンスクリーンの前で撮影して、CGの背景を合成する方法が一般的でした。最近は「バーチャルプロダクション」と呼ばれる方式が広がり、撮影現場に巨大なLEDディスプレイを置き、そこにリアルタイムで背景映像を映しながら撮影することが増えています。

この方法だと、俳優さんも実際に景色を見ながら演技でき、その場にいるような臨場感を出しやすいのです。背景の光が実際に人や小道具に当たるので、照明や反射も自然になりやすいメリットがあります。こうした撮影ができるようになった背景には、大型で高精細なLEDディスプレイや、リアルタイムCG技術の進歩が大きく関係していると言われています。

杉浦

没入感は技術の進化とシンクロしているのですね。

園田

プロジェクションマッピングも今とても人気がありますね。東京都庁舎で行われたりもしていましたが、アーティストのライブの演出等、各所で取り入れられているようですね。

佐藤

東京駅舎を使った初期の大型プロジェクションマッピングは、当時かなり話題になりました。レンガの外壁が消えたように見える演出などに多くの人が驚いて、あまりに人が集まりすぎたため、予定より早く終了になったくらいなんです。

園田

建物の形状や色に応じて様々な映像を投影できるのは驚きます。

佐藤

カメラとプロジェクターの組み合わせには、投影する面の形を測る機能もあります。例えば、特定の白黒パターンを投影して、それをカメラで観察すると、プロジェクターとカメラの位置関係から、投影面までの距離や形を計算できるんです。こうして面の凹凸や位置を機械が自動で補正することで、立体的な場所でも高い精度で映像を映し出せるようになります。

園田

そこまで技術が進んでいるのですね。

佐藤

プロジェクターとカメラを組み合わせると、映像を映す場所の形や色を測ることができます。すると、「どこにどんな色の光を当てれば、人には狙った色に見えるか」を計算できるんです。ただし限界もあり、例えば、投影面にもともと黒い部分があるとどれだけ強い光を当てても完全には明るくできません。

そのため、技術だけで解決するのではなく、映像のデザイン側でもその部分には暗めの映像を配置するなど、投影先に合わせた工夫を行うことも効果的です。

没入感を作り出す技術

杉浦

プロジェクションマッピングは、パブリックの催しのために開発された技術なのですか。

佐藤

プロジェクションマッピングは、一般向けのイベントなどが増えてから、技術もプロジェクターの性能も一気に進化しました。もともとは、プロジェクターを使って現実の世界に情報を重ねて表示しよう、という発想から始まっています。例えば、机の上に勉強内容に関係する動画を映したり、棚の箱に「中に何が入っているか」を表示したり、といった使い方です。

その後、自動車のモックアップのような製品模型に、完成後の色やデザインを投影する試みなどにも広がっていきました。そして、扱う対象や空間のサイズがどんどん大きくなり、現在のような建物全体を使った大型プロジェクションマッピングへと発展していったんです。

最近は、以前よりずっと明るく高解像度で、しかも低価格なプロジェクターが使えるようになり、応用の幅も大きく広がっています。一方で、人がどう感じるかを突き詰める質感研究も進んでおり、例えば、ろうそくの写真にゆらぎ成分の映像を少し重ねるだけで、本当に火が揺れているように見えることがあります。人間の知覚の特徴をうまく利用した技術が次々と登場しています。

杉浦

まさに没入感を作るための技術ですね。

園田

昔、公園や郊外の広場にスクリーンを張って、映画をみんなで眺める屋外劇場が流行りましたが、ああいうアミューズメントも違った形で発展する可能性はあるのでしょうか。サッカーの代表試合等で行われるパブリックビューイングも、自宅でも試合は観られるのに、ファンが大勢スタジアムに足を運びますよね。

杉浦

みんなと一緒に没入する楽しみはあると思います。

佐藤

楽しみ方が多様化していますよね。映画館には、声出しOKのアニメ上映や、アーティストのライブ映像を楽しむ作品もありますよね。実際には本人たちがその場にいるわけではないのに、かなり強い臨場感を感じられるのが面白い。

園田

コンテンツによっては、一体感を味わうことも臨場感や没入感を構成する要素になりえるということでしょうか。

佐藤

実際に大きなコンサート会場に行くとステージ上のアーティストは小さくて表情などは見えず、巨大なスクリーンに映る姿をあわせて見ているということはありますね。

杉浦

映像を見ながら耳では生音を聴いているという感覚なのかもしれません。

園田

なるほど。でも細かいことですが、生音と言っても実際はPA(音響システム)を通した音なので、厳密には生音、言い換えれば原音、ではないですよね。

佐藤

生音を聴けている人は、本当に間近にいる人ですね。

園田

歌手やバンドメンバーでさえイヤホンでモニターしていますので、実際は誰も生音を聞いていないのかもしれません。没入感はオリジナルの原音でしか作れないと思いがちですが、この場合はほとんどの音が電気的な処理が施されている。

佐藤

作り込まれたものの中にも取捨選択が入っているわけですね。

園田

分析的に考えると没入感というのは「客観的で正確な」原音だけがもたらせるものとは限らないんですよね。

目は何を見ているのか

佐藤

人間は、実は見た色をそのまま覚えているわけではなく、「そのものらしい色」として記憶していることが多いそうです。こうした色は「記憶色」とも呼ばれます。例えば、沖縄のポスターに描かれる海の色も、時代によって変わってきたと言われています。昔は、実際に沖縄へ行ったことのない人のほうが多かったので、人々が「沖縄っぽい」と感じる海のイメージに合わせて表現されていたそうです。

なので、「きれいに再現されている」と感じる色も、実際の色そのものというより、人が思い浮かべやすい"それらしい色"に調整することが効果的なこともありますね。

杉浦

面白いですね。ポスターを見る人のマスに合わせてデザインを変えてきた歴史があるのですね。

園田

ライブの音もその記憶は人それぞれですよね。客観性だけが没入感をつくり出すわけではないとしたら、本物らしいと感じるものを追求するほうが大事なのでしょうか。

佐藤

その感覚はとても重要だと思います。硬いと思って触ったものが実は柔らかかったといった経験は誰にもあると思いますが、リアリティーはどこかで自分の記憶と照らし合わせるところがありますよね。

園田

逆に言うと、柔らかいものでも演出や再現の仕方によってはだますことができるということですね。すると当然、そこにクリエイティビティーも発生する余地が出てくる。

佐藤

でも「私は今何を見ているのか」などと考え始めると大変ですよ。木や金属などの素材や見た目や手触りを再現した商品を見て普通に綺麗だなと思えばいいのに、このツヤはどうだろう、とか、実物はもっと硬いだろうなと考えてしまう。純粋にお土産屋さんも楽しめなくなってしまいます(笑)。

杉浦

では、没入感を作り出す映像表現は、必ずしも再現性の追求ではなかったりするのでしょうか。

佐藤

CGと実写を自然に合成する際の照明の再現についても、「どこまで正確に再現すれば人が自然だと感じるのか」は、まだまだ研究の余地があると言われています。例えば、非常にリアルに描かれた絵画でも、よく見ると光と影の方向が一致していないことがあります。それでも、人は意外と違和感を覚えないとも言われています。

杉浦

画家があえて描いたシーンを鑑賞者は正確に描かれたものとして受けとめているということですか。

佐藤

そうです。画家は当たるはずのない光を描いて臨場感を作り出しており、必ずしも現実を忠実に再現したものではない。そういう目で見ると、何をもってリアリティーと呼ぶのかが難しくなります。

ディスプレイからプロジェクションへ

佐藤

高い没入感を得られる機器として、ヘッドマウントディスプレイも注目されてきました。ただ、長時間装着する負担や、頭の動きと映像を同期させるために非常に高い精度が必要だったこともあり、一般向けにはなかなか広く普及しませんでした。一時期話題になったグラス型の機器も、今も開発は続いていますが、長時間コンテンツを楽しむにはまだ負担を感じる人もいるようです。

映像の遅れ自体はかなり改善されてきたと言われていますが、私自身は少し酔ってしまうので、実はあまり得意ではないんです。

園田

酔ってしまうのは現実の身体感覚とのずれが原因なのですか。

杉浦

視差と焦点距離の不一致も要因となります。映像としては立体的な奥行きを感じていても、実際には固定距離のディスプレイを見続けているため、視覚系に負担がかかり、疲労やVR酔いの原因になると言われています。

佐藤

チームラボの作るコンテンツなどは、驚くほど表現の幅が広がっていますね。

園田

ディスプレイ研究の歴史の中では重要な方向性を示していて、進化のスピードが速く着実に伸びています。没入感のある映像表現はプロジェクターが担っていくように思います。

杉浦

この場にいながら、いろいろな場所に行けるような映像表現も可能になるのですね。

佐藤

ディスプレイの解像度も高くなり、ネットワーク通信も高速化しているので、遠くの家族とオンラインで話すときでも、以前よりずっと"その場にいる感じ"が出せるようになってきています。以前、ゲーム会社が公開していた未来イメージ映像では、ゲームの中のビームが実空間に飛び出してくるような演出も描かれていました。

空間ディスプレイの技術が進んでいるので、こうした表現も少しずつ現実に近づいていると思います。

技術は新しい没入感を生み出すか

園田

イマーシブオーディオに対応したヘッドホンを使ってみると、最初は前方に音が定位せず戸惑うユーザーもいるそうです。耳というより脳が慣れるまでに一定の時間と経験が要ると聞きます。

佐藤

それはわかる気がします。耳は目ほど正確に位置を感じ取れるわけではないので、慣れるまで少し時間が必要なのかもしれません。以前、顔の向きに合わせて音の位置が変わるタイプのスピーカーを試したことがあるのですが、音の出どころがわからなくなるような不思議な感覚がありました。

杉浦

マルチを積極的に使いたい気持ちはありつつ、没入感というのは本質的にスピーカーを効果的に使った上で、その作品で実現したい音の空間を再現することですよね。

園田

かつてマルチチャンネルに対応したデジタル機器の広告に不思議なイメージが使われていました。リスニングポイントに座るリスナーの周りを室内楽団が360度囲むというものです。臨場感を表現したかったのだと思いますが、普通、室内楽をそんなふうに聴くことはありませんよね(笑)。

佐藤

指揮者でさえ真ん中に立つことはないというのに(笑)。

園田

そういう聴き方を前提に作曲されている作品もありません。パッと見ですごそうに見えても、それは再現でも何でもないので室内楽の臨場感が増したよというメッセージにはならない。あるいは今後、そういうコンテンツが作られるかもしれませんが。

杉浦

それはそれで新たな楽しみ方になる可能性もあると考えたら面白いです。

園田

新しいクリエイティビティーを発揮する方向に行くのは大歓迎ですし、それは今後、ハードの設計開発者とソフトの制作者、そして視聴者が試行錯誤して発展させていくことになるかと思います。

佐藤

確かに新しい。体験したことのないような没入感を得られるコンテンツがこれから生まれてくるといいですね。

(2026年4月16日、三田キャンパスにて収録)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。